『哀悼・・・』
日付が変わるギリギリになってしまったが、1月17日は阪神大震災のあった日。
1995年1月17日は、何度も書いているとおり、自分はICUのサッカー部の練習中に接触事故で頭から地面に落ち、救急車で武蔵野日赤に運ばれた。。。そんな個人的な話とは全くリンクしない様な大きな災害があった訳だが、今日一日でそのニュースに触れることは一度もなかった。
残念だが、月日の流れでメディアの取り上げ方も小さくなると言う事なのだろう…。
個人的には肉親や友人が亡くなった訳ではないのだが、一昨年亡くなった奥さんの祖母が神戸の御影公会堂の目の前のマンションに住んでいたと言う事で、奥さん家族にとってはとても大きな事であった筈である。その瞬間はまだ全く出会う前ではあるが、それでもこの災害に付いては結婚して以降、自分の家族に起きたのと同じくらい大きな出来事として捉えている。そして万が一の事を考えるようになった。
日本に住んでいる以上、地震とは切っても切れないと言える。
我が家では、Officeにいた場合、徒歩で帰宅になるケースを想定して、帰宅ルートを決めている。山手通りをひたすら歩き、そして246を歩くのが一番簡単なルート。何方かと言えば、機動力のあるバイクに乗れる分、おいらが奥さんを迎えに行くことを想定している。転職後も度々おいらは奥さんを天王洲までお迎えに行き、帰りのルートでここを通るんだよ、と方向音痴の奥さんに刷り込みをしている。
そうでもしないと、携帯が通じない時に出会えなくなる可能性があるから。
そして、今後は更に途中で休憩して落ち合う場所も再設定せねば、と思っている。前は東京駅からの帰りで、日比谷公園やら色々と災害対策の施設が出そうな場所に一度は寄ると言う様なことを決めていたが、奥さんの転職後はそう言う場所を決めていない。でも、決めればバイクで拾いに行く時に落ち合える可能性が上がる筈だ。
おいらが奥さんを守らねばなりますまい。
地震の時にはこう行動する、って言うことを決めたのは震災が起こってからではあるが、備えて行こうと言う教訓を持ったのは地震の国では必要な事だと改めて気付かされた。そう言う事を想定していてもあの時の震災で亡くなった方は大勢いた筈で、その事をメディアは改めて取り上げなくても個人的には忘れてはならない事だと思っている。
合唱。






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