『第602回 恩師からのメール…』

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今日の日中、お世話になった方々などへ卒業したことの報告メールを出したのだが、既にいくつか頂いた返信の中に恩師のものがあった。

先生ご本人の承諾を得ていないので、内容については割愛するが、大学を卒業しても今尚、色々とご助言頂いたり、励ましてくださったりと何かと支えて頂けていることにとても感謝している。

先生は既にICUは退官されているが、92年にICUにいらっしゃる前は長らく東大で教鞭を執られていた。東大の名誉教授であることなどは先生にとって何ら驕りに繋がるようなことはなく、常に真摯に学問に向き会う姿は何かの言葉では言い尽くし難いものがある。先生は僕らが卒業する98年3月にICUを退官された。ある意味先生がICUにいらしたのでICUに行ったので、僕はラッキーであった。

僕らの代のゼミは過去ICUでゼミを受け持った中では例外であったようで、1対1のゼミ形式ではなく、先生対学生全員と言う図式でゼミ会を続けた。就職活動の時期にですら、皆に声を掛け、集まって議論を重ねた。それもかなり頻繁に行った記憶がある。このおかげで卒論は締め切りの10日ほど前に提出できた。また、異例中の異例だと仰っていたが、僕らはゼミ合宿を二度もした。サークルの合宿でも使っていた旅行代理店へ赴き、色々と場所を探し、一度目は八王子のセミナーハウス、二度目は伊豆の温泉地で行った。これが、楽しくもあり、とても厳しいものでもあった。卒業の際、ゼミ生皆で日光の温泉に行ったのもある意味例外であると言える。このような集まりをしたゼミは在籍時にはなかったそうである。

この歳で、と言うと大変失礼なのは承知なのだが、既に70代後半に指しかかろうとする現在も、毎年4月の1ヶ月間、NYはColombia大学のLaw SchoolでVisiting professorをされている。ここ数年はVisiting scholarの身分で渡米されていたようであるが。昨年、一昨年とNYに行く時期をわざわざ桜の季節にしてまでしたのは、先生とNYでお話をしたかったからである。先生は普段東京にいらっしゃることが余りなく、野尻湖近くの別荘に篭られている。正に篭っていると言うのが正解の山の中(失礼)なのだが、ここが先生の学問の本拠地になっている。故に、ゼミの同窓会を開く時は先生が東京にいらっしゃる時を見計らって予定を立てる。変な話であるが、ゼミ同窓会の時は先生とは一対一では向かえない。その他ゼミ生がいるからである。皆、日頃の自分とどのようにしてか、全く個人的な問題であるが故に想像も付かないのであるが、先生と向き合うと自分自身を省みざるを得ない心境になるのは自分だけではない筈だ。NYにわざわざ出向いたのはある意味先生の独り占めが目的だったと言える。NYでは、グッゲンハイムへ行ったり、ミュージカルを見たり、寿司を食べに行ったり、と色々と学問以外に先生が曹司が深い分野についても話を弾ませた。

僕が4年生の秋、教授室に呼ばれ依頼を受けた。

〝池田君はICU祭のときは何をしておるかね?〟

先生は退官と同時に野尻湖の別荘に引き篭もることを決められていたようで、教授室にある全ての文献をその別荘に引越しする作業の手伝いを任された。勿論一人ではなく、先生の助手の方とそれ以外にゼミ生2人で。僕が車を運転し、先生以外の3人を乗せて野尻湖へ向かったものだ。。先生は書物を積んだ10tトラックの助手席に乗ったまま向かわれた。これが本当に信じられなかったのだが、10tトラックに丸々本が積まれたのである…野尻湖の別荘にはこのトラックは道が狭くて入れず、途中で2tトラックに載せ変えて別荘脇まで運んだものだ。。当然5回に分けて…僕ら〝作業員〟は2泊3日、ひたすら本を棚に並べ続けた。。。法学教室の第一号など日比谷図書館に行かなければ触ることは愚か、見ることすらできないと思われるが、第一号から最新号まで普通に全て揃っていた。その他法学関係の書物が、これでもか、と言うほど並べ続けたのが懐かしい…夜は流れ星を無数に観ながら、僕が最も苦手とする正座の解説を僕らにしてくださったのも懐かしい。そしてランチは戸隠まで車で出掛け、新鮮な蕎麦を食べに行ったりもした。色々と先生から受けたご恩はゼミや授業の中だけではなかった。

その先生から、励ましの言葉と共に、頑張りに対してお褒めの言葉を頂いた。今後、これに奢ることなく、ビジネスの世界で頑張っていきたいと思う。甘いものには目がない先生には、帰国時にUKのお菓子を持参して、何が何でもお会いしたいと思う。

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Posted by xyzken